ヤモリと出会ったのは2025年の12月14日。
よく晴れた寒い日の朝に家の前で動けなくなっていたのを私が見つけたのがきっかけ。
どうしても放っておくことができなくて、衝動的に家に上げてしまって、仮ケージを用意し餌も準備した。
でも事あるごとに我に返って考える。
もともと自然の中にいたヤモリを飼うのはいいことなのか?
正直この悩みはこのブログを書いてる2026年4月中旬まで、何度も思い出し、悩み迷い続けてきた。
きっとこれからも、思い出しては悩み迷い続けるんだと思う。
自然の摂理に人が介入していいのか?
自然の中で、息絶えたとしてもそれがこのヤモリの運命なのではないか?
人間に飼われることがヤモリにとっての幸せなのか?
狭いケージに閉じ込めておくのは可哀想ではないのか?
逃がすにしても、この寒い真冬の時期に逃したら生きられるのか?
いつか逃すならいつまで飼うのか?
狭いケージに閉じ込めて、子孫を残す可能性を奪っていいのか?
飼うための知識も覚悟もないうちに家に上げてしまって、途中で投げ出したい気持ちもあったと思う。今もだけど、わからないことが沢山あるから。
それでも、仮のケージの中で生きている姿を見かけては、ほっとしている自分がいた。
そうやって飼うことに迷いながら一緒に過ごしていくうちに、自分はこのヤモリを死なせたくないって思っていると気づいた。
それからは、少し迷う気持ちが軽くなったのかヤモリの飼育を続けることに前向きに考えられるようになった。
本格的に飼うためのケージだったり、保温装置だったり、加湿器だったり、隠れ家だったり、いろんな情報を以前にも増して調べるようになった。
飼うにあたっては、自然の摂理に介入してしまったこと、繁殖の機会を奪ってしまったことへの罪悪感があった。それに対してはヤモリのつがいをどこかから入手することも少し考えた。
けど、今飼育しているヤモリにつがいを与えて繁殖させたとしても、次の世代はどうする?っていう悩みにぶつかった。
仮に繁殖して、子ヤモリの時から人の手で育ててしまったら、それこそ自然で生きていけない命を生み出してしまうことになる。
では、その子ヤモリたちの面倒もみるのか?では孫の世代は?現実的に考えてできるわけがない。つがいをあてがい繁殖させた先に待っているのは、自然で生きられない命を生み出し、飼うこともできなくなる多頭飼育崩壊しかない。
だから、飼うのはこのヤモリ1匹だけにする。
ヤモリへの罪悪感なのか、自然の摂理に介入したことへの罪の意識なのか、このことについて思い出した時、ずっと考えが堂々巡りになって気持ちが重たくなる。
それでも、このヤモリを死なせたくないっていう想いと、自然で生きられない命を生み出さないっていう想いで今日もヤモリと一緒にすごしている。
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